不安ということ。

2001年9月1日
最初に子宮内膜症と診断が下されたのが高校生の時。生理の度に失神するので母が心配して、でも近所の産婦人科では嫌だからと電車で2時間半かかる女医さんの病院をわざわざ探してくれた。
このとき私は16歳。制服で待合室にいるのがとっても恥ずかしかったっけ。
女医さんのI先生は気さくなひとで、「子供の一人も産めば治っちゃうわよ!」と笑い飛ばした。
先生の心遣いは嬉しかったけれど、高校あと3年、大学にストレートに入れて22歳。子供なんて考えられもしなかった。22歳で卒業を無事にして、お勤めするようになって3年くらいは働くんだとして、26歳、あと10年間もこんなに痛いんだよ、って思ったら床がぐにゃぁーって見えるくらいの眩暈がした。あれから10年以上の月日が経つ。
4度の再発を繰り返し、その度に点鼻薬やホルモン注射、低容量ピルなどの治療を繰り返しては再発の繰り返し。
「子供は勿論好きだし、出来ればいいなって思ってるけど、俺は子供と結婚するわけじゃない、お前がそばにいてくれれば充分過ぎる幸せだ。」そういってくれたあなたはICUにも毎日会いに来てくれた。でも「お前を支えきれない」って去っていった。わたし、甘えていたのかな?支えてってよりかかってた?教えてよ。本当は「子供の産める健康な女の子がよくなった」って言ってよ。
今の彼が優しければ優しいほどつらい。
食べたものを吐いたりしても、ずっと背中をぽんぽん叩いてだっこしてくれる。「産めない『かもしれない』」ってそんなに悪いこと?
お母さんどうして謝るの?「この子は子供も産めないかもしれないのに」って謝らないで?わたし子供大好きだよ?自分の子供、どんなに苦しくても産んでみたいよ?彼との子なら尚更だよ。

あなたはいつまでわたしのそばにいてくれますか?

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